ホタルに想いをよせて
監事 水曜班 黒田 徳已
“ほう、ほう、ホタル来い、あっちの水は苦いぞ、こっちの水は甘いぞ、”
祖父や、祖母に手を引かれ、こどものころよく、ホタル狩りに出かけたものでした。
この一宮地方にも戦前には大江川や一宮井筋(いすじ)にもたくさんのホタルが飛び交い、夏の風物詩となっておりました。
ところが、戦災後、街の復興とともに、河川改修も進められ、さらに、農薬、生活雑排水に起因する、河川水質汚濁は避けることができず、市内の川ではホタルは、ほとんど見られなくなりました。
私は、昭和38年3月5日、長崎県民から愛知県民となり、一宮市民となりました。この年の6月、真清田神社の境内で(日にちは定かでないですが)「市民ホタルまつり」が開催され、参加しました。
その夜は、蒸し暑い初夏の一夜でありましたが、老いも、若きも、子供も、ホタルの幻想的な光に我を忘れ「うちわ」でホタルを追い回し、酔いしれた思い出の日でもありました。後で知りましたが、この年をもって12年間続いた「市民ホタルまつり」も中止となったのでした。
さて、それから20年後、私は昭和58年4月、一宮市議会議員選挙に出馬し、多くの市民のご支援によって、初当選をさせていただきました。
想いをよせていた「一宮ホタルまつり」の復活を願い、昭和59年6月議会で、はじめて本会議場において「ホタルの里づくり」について提案、質問をいたしました。
当時は「ホタルまつり?」と、なかなか理解されませんでした。以来、15年間、故森 鉐太郎市長、元神田 眞秋市長(現愛知県知事)、現谷 一夫市長に、堺市や金沢市をはじめ、各地域で行われている「ホタルの里づくり」の先進事業を調査しては、本会議、委員会などで質問してきました。
紆余曲折はあったものの、この「ホタルの里づくり」に「夢とロマン」をもち続けた結果、現谷 一夫市長より、平成10年6月議会での、私の「ホタルの里づくり」の質問に対して、「事業化の方向で考えましょう」との答弁を、はじめていただきました。
その甲斐あってか今日では、日置 須務会長、顧問の前橋 利典先生といった素晴らしい指導者のもと、大野極楽寺公園内の野鳥園で、会員と公園緑地課の市職員が一体となってホタルの飼育に取り組み、その結果、初夏にはヘイケボタルが乱舞するようになり、毎年開催される「ホタル観賞の夕べ」も今年で8回目を向かえ、すっかり市民にも親しまれるようになりました。
「一宮平成ホタルの会」の合言葉
”ホタルが生息できる豊かな環境づくり”
”ホタルが舞う姿をもう一度、私たちの町に、子供たちに”
ホタルの飼育を通して「命の大切さ、自然環境の大切さ」を未来の子供たちに伝えていくためにも、今一度“何のため”との原点に帰り、その作業に勤しんでいきたいと思っています。
会報第9号(平成19年10月発行)より
2008年03月26日